こんにちは!企業の空気をおカネに変える専門家、透明資産コンサルタントの勝田耕司です。
透明資産とは、業績に影響する「空気感」を意図的に設計し運用する仕組みのこと。透明資産を取り入れた透明資産経営は、お客様との絆を深め、従業員同士の信頼関係を築き上げ、商品・サービスの独自性を強化します。そして、持続的成長につながる経営の仕組みです。
―「でも、汁は塗ったんだ」
1995年、アメリカのピッツバーグで、ある男が白昼堂々、二つの銀行を襲いました。マッカーサー・ウィーラー。奇妙なことに、彼は覆面もサングラスも、何ひとつ身につけていませんでした。当然、防犯カメラにその顔は、くっきりと映ります。映像が報道され、彼はその日のうちに逮捕されました。
取調室で、警察がその映像を見せると、彼は心底信じられないという顔で、こうつぶやいたといいます。「でも、俺は汁を塗ったんだ」。彼は、レモン汁が「あぶり出しのインク」に使われることを知っていました。そこから、こう推論したのです。レモン汁を顔に塗れば、カメラにも映らないはずだ、と。犯行前に、実際に顔に塗ってポラロイドで自撮りして「確認」までしていた。彼は酔ってもいなければ、妄想を病んでもいませんでした。ただ——とてつもなく、間違っていた。そして、自分が間違っていることを、最後まで疑いもしなかった。
この滑稽な事件を新聞で読み、笑い飛ばさなかった二人の学者がいました。そして彼らの研究が、あなたの会社の人事と、あなた自身の判断に、深く突き刺さることになるのです。
―できない人ほど、自分を高く見積もる
コーネル大学のデイヴィッド・ダニングとジャスティン・クルーガーは、こう考えました。ウィーラーは、銀行強盗をするには愚かすぎた。だとすれば、「自分が愚かすぎることに気づく」ためにも、愚かすぎたのではないか——と。
二人は1999年、学生たちに、論理的思考、英文法、そしてユーモアのセンス(プロのコメディアンの評価と、どれだけ一致するか)を測るテストを受けさせました。そのうえで、「自分は他の人と比べて、どのくらいの出来だったと思うか」を、自己申告させたのです。
結果は、鮮やかでした。成績が下位四分の一だった人々——実際には、上から数えて88番目あたり(12パーセンタイル)にいた人々——は、自分は「上から数えて38番目あたり(62パーセンタイル)」、つまり平均より上だ、と見積もっていました。実力と自己評価の差は、およそ50ポイント。逆に、成績上位の人々は、自分を実際より「低く」見積もっていました。
そして二人は、この論文に、こんな題をつけました。「未熟で、そのことに気づいていない」。彼らの説明は、残酷なほど筋が通っています。ある分野で力が足りない人は、二重の重荷を背負っている。第一に、間違った判断をしてしまう。第二に——その未熟さゆえに、自分が間違っていることに気づく力すら、奪われている。文法を知らない人は、自分の文章の誤りを見つけられません。センスのない人は、自分にセンスがないと判定するための、そのセンスを持っていない。自分の実力を測るには、その実力そのものが要る。だから、足りない人ほど、自分が足りていることを疑えないのです。
(誠実にお伝えすれば、この効果については、統計上の見かけの現象にすぎないのではないか、という批判も長く議論されています。ただ、この研究が突きつけた核心——「自分の能力を測る能力」だけは、自分の内側からは調達できない——という指摘の重みは、揺らいでいません。)
―会社は、自信を実力と取り違える
さあ、あなたの会社に持ち込みましょう。ここに、恐ろしい掛け算が起きます。
会社という場所では、人は「自信」を、実力の証拠として扱います。堂々と断言する人は、できる人に見える。「たぶん、こうだと思うのですが」とためらう人は、頼りなく見える。ところが、ダニングとクルーガーが示したのは、ある領域において、自信の大きさと実力は、しばしば逆向きに並ぶ、という事実でした。実力のある人ほど、自分の見えていない部分が見えるがゆえに、慎重になる。実力のない人ほど、見えていないものが見えないがゆえに、迷いがない。
だから、あなたの会議室では、こういうことが起きます。最も自信を持って断言する人の意見が通り、最も控えめに疑問を呈した人の意見が、流される。そして、あなたはそれを「意見の質で決めた」と信じている。あなたが選んでいるのは、実は「確信の強さ」だけかもしれないのに。あなたの会社で最も声の大きい確信は、最も検証されていない確信ではないでしょうか。
―「鏡のない会社」は、全員が自分を誤解する
ここから、私が本当にお伝えしたいことです。この問題の急所は、個人の資質ではありません。空気にあります。
自分の実力は、自分の内側からは測れない。では、どうすれば知ることができるのか。答えは一つしかありません。外から、正確に、教えてもらうことです。つまり——フィードバックです。人が自分を正しく知るための唯一の道具は、他人という「鏡」なのです。
ここで、あなたの会社を思い浮かべてください。あなたの会社には、鏡がありますか。誰かが的外れなことをしたとき、それを本人に、正確に、率直に伝える人がいるでしょうか。それとも、みんな笑顔で頷いて、その人が席を立った後で、給湯室で本音を言い合っているでしょうか。もし後者なら、あなたの会社は「鏡のない会社」です。そして鏡のない会社では、何が起きるか。全員が、自分を誤解したまま、何年も過ごすことになります。伸びない人は、なぜ自分が評価されないのか、最後まで分からない。優秀な人は、自分の価値に気づかないまま、静かに自信を失っていく。誰も学びません。学ぶための情報が、どこにも流れていないからです。
そして、これこそ「いい人ばかりの、穏やかな会社」が、静かに沈んでいく理由です。優しさから、誰も本当のことを言わない。その優しさが、全員から「自分を知る唯一の手段」を奪っている。鏡のない空気は、居心地がいい。ただし、その中の全員が、少しずつ、自分の姿を見失っていくのです。
―そして、社長には、鏡がない
最後に、いちばん痛いところを突かせてください。この会社の中で、最も鏡から遠いのは、誰でしょうか。
あなたです。社員は、誰も、あなたに本当のことを言いません。あなたの判断が的外れでも、頷きます。あなたの話が長すぎても、聞いているふりをします。あなたの戦略に穴があっても、「さすがです」と言います。つまり、あなたは会社で唯一、正確なフィードバックが、構造的に届かない場所に座っている。そして、ダニングとクルーガーの理屈に従えば——あなたには、自分がどれだけ的外れかを測る手段が、一つも残されていないのです。
「でも、俺は汁を塗ったんだ」。あの言葉を、私たちは笑います。けれど、彼は本気で確信していました。そして、彼の中の感触は、完璧に正しかったのです。ただ、外の世界だけが、違っていた。あなたが「うちの会社の空気は分かっている」「この判断は間違いない」と確信しているとき——その確信の感触は、彼のものと、どこがどう違うのでしょうか。確信とは、正しさの証拠ではありません。それは、ただの感触です。そして、その感触が最も強いときこそ、あなたを訂正してくれるものが、最も少なくなっているのかもしれません。
だから、鏡を、自分で用意してください。頷きではなく、具体的な反論を、名指しで求める。「よくないところを、一つだけ教えてほしい」と、あなたから頭を下げる。そして、それを言ってくれた人を、絶対に、絶対に、責めない。むしろ、全員の前で礼を言う。それを何度か繰り返して初めて、社員は、あなたに本当のことを言い始めます。想像してみてください。数か月後、社員が、あなたの案に対して、ためらいなく「それは違うと思います」と言い、あなたが「教えてくれてありがとう」と即座に返す——そんな会議室を。その部屋には、鏡があります。
自分を測る力だけは、自分の中からは、決して取り出せません。あなたが今どこに立っているかを教えてくれるのは、あなたの確信ではなく、他人の口だけです。あなたの会社には今日、その口が、いくつ開いているでしょうか。そして、その一つを閉じさせたのは——もしかすると、あなた自身の、あの日のひと言ではなかったでしょうか。
―勝田耕司