こんにちは!企業の空気をおカネに変える専門家、透明資産コンサルタントの勝田耕司です。
透明資産とは、業績に影響する「空気感」を意図的に設計し運用する仕組みのこと。透明資産を取り入れた透明資産経営は、お客様との絆を深め、従業員同士の信頼関係を築き上げ、商品・サービスの独自性を強化します。そして、持続的成長につながる経営の仕組みです。
―「給料を上げたのに、また辞めた」
ある経営者から、こんな話を聞きました。「去年、離職が続いたので、思い切って給与水準を業界平均より15%高く設定しました。これで歯止めがかかると思っていた。でも今年もまた、若手が3人辞めていきました。退職面談では『一身上の都合』と言うだけで、本当の理由がわからない」この経営者の困惑は、多くの経営者が共有するものです。給与を上げた。休日を増やした。福利厚生を充実させた。それでも人が辞める。「いったい、何が不満なんだ」という苛立ちと、「自分の会社の何がいけないのか」という戸惑いが入り混じる。そしてやがて、「最近の若者はすぐ辞める」という諦めに落ち着いてしまう。しかし、その諦めは正確ではありません。問題は「最近の若者」ではなく、会社の「空気」にあることがほとんどです。
―退職理由の「建前」と「本音」の深い溝
退職面談で語られる理由と、実際の退職理由の間には、大きな溝があります。エン・ジャパン株式会社が実施した「退職理由に関するアンケート調査」(2万人以上が回答)では、退職時に会社に伝えた理由の第1位は「キャリアアップのため」「スキルアップのため」といった前向きな理由でした。しかし、「本当の退職理由」を別途聞いたところ、上位に挙がったのは「上司・経営者の仕事の仕方が気に入らなかった」「労働環境・条件が悪かった」「社内の人間関係が悪かった」といった、職場の「空気」に関わる理由でした。つまり、退職者の多くは「本当のことを言わずに辞めていく」のです。なぜ本当のことを言わないかといえば、「言っても変わらない」「言ったら気まずくなる」「もうここを去るのだから関係ない」という気持ちがあるからです。そしてこの「本当のことを言えない空気」こそが、実は離職の根本原因のひとつであるという、深い皮肉があります。
―人は「環境」を辞めるのであって、「仕事」を辞めるのではない
組織心理学に「人は会社を辞めるのではなく、上司を辞める」という言葉があります。ギャラップ社の調査によれば、自発的離職の原因の約75%は、直属の上司との関係に起因しているというデータが示されています。しかし私はこの言葉を、もう一段深めて考えています。人は「上司を辞める」のでもなく、「その職場に漂う空気を辞める」のだと。上司との関係が悪化するのはなぜか。それは多くの場合、「正直に話せない空気」「評価が不透明な空気」「頑張っても報われない空気」「自分の存在を認めてもらえない空気」があるからです。上司個人の問題であるように見えて、その上司を生み出し、その上司の振る舞いを許容してきた組織の空気こそが、根本にある問題です。マサチューセッツ工科大学(MIT)の組織学習の研究者ピーター・センゲは、著書『学習する組織』の中で、組織の問題の多くは「個人の失敗」ではなく「システムの失敗」であると述べています。誰かが悪いのではなく、その行動を生み出す構造・文化・空気が問題なのだ、と。離職の問題を「辞める側の個人の問題」として捉えている限り、根本的な解決には至りません。「辞めたくなる空気を生み出している構造」を見直すことが、離職を止める唯一の本質的なアプローチです。
―「承認の空気」が、人を留める
人が職場に留まる理由を研究した数多くの調査に共通して浮かび上がるキーワードがあります。それは「承認」です。「自分の仕事が認められている」「自分の存在が必要とされている」「自分がここにいることに意味がある」——この感覚が満たされているとき、人は多少の不満があっても、職場に留まろうとします。逆に、給与が高くても、この感覚が満たされていなければ、人は「自分を必要としてくれる場所」を求めて去っていきます。心理学者のエイブラハム・マズローが提唱した「欲求の五段階説」において、「承認欲求」(尊重されたい、認められたいという欲求)は、生理的欲求・安全欲求・社会的欲求の上位に位置します。給与や福利厚生は下位の欲求(生理的・安全的欲求)を満たすものです。しかし人間は、下位の欲求が満たされると、必ず上位の欲求——承認、そして自己実現——を求めるようになります。給与を上げても離職が止まらない理由は、ここにあります。下位の欲求を満たしても、上位の欲求が満たされなければ、人は「もっと自分を必要としてくれる場所」を探し続けます。「承認の空気」とは、「よくやった」という言葉だけではありません。社員の意見が真剣に聞かれる空気、失敗しても責められるだけでなく学びに変えられる空気、一人ひとりの個性や強みが活かされる空気——これらすべてが「承認」の形です。
―ホーソン実験が示した、「見られている」ことの力
1920年代から1930年代にかけて、ウエスタン・エレクトリック社のホーソン工場で行われた有名な実験があります。ハーバード大学のエルトン・メイヨーらが行ったこの研究は、当初「照明の明るさが生産性に与える影響」を調べるものでした。ところが実験の結果、照明を明るくしても暗くしても、生産性は上がり続けるという予想外の結果が生まれました。研究者たちが導き出した結論は、「実験対象として注目されている」「自分たちの仕事に関心を持たれている」という事実そのものが、労働者の意欲と生産性を高めたというものでした。この「ホーソン効果」が示す本質は、人間は「見られている」「関心を持たれている」と感じることで、自発的に力を発揮するということです。裏を返せば、「誰も自分に関心を持っていない」「何をやっても見てもらえない」という空気の中では、人はやがて力を失い、「ここにいる意味がない」という感覚に至ります。これが、静かな離職の正体です。
―「静かな離職(Quiet Quitting)」という新しい脅威
近年、経営者が知っておくべき概念として「静かな離職(Quiet Quitting)」があります。これは、実際に会社を辞めるわけではなく、「最低限の仕事だけをこなし、それ以上は何もしない」という状態を指します。2022年にアメリカで注目を集めたこの概念は、日本の職場にも広く存在する現象です。ギャラップ社の調査によれば、世界の労働者の約59%が「静かな離職」状態にあると推計されています。つまり、出社はしているが、心はすでに会社を離れている社員が、組織の過半数を占めている可能性があるということです。静かな離職は、通常の離職よりも発見が遅れます。数字の上では「在籍している」ので、離職率には反映されません。しかし、エンゲージメントの低い社員が増えることで、チームの空気は確実に重くなり、生産性は下がり、お客様へのサービス品質も低下していきます。静かな離職が広がる職場には、共通した空気があります。「頑張っても頑張らなくても、同じだ」「自分の意見は求められていない」「この会社で自分が成長できる未来が見えない」という空気です。これは、承認の空気が失われた職場の末路です。
―離職を止める前に、「留まりたい空気」をつくる
離職対策として多くの企業が取り組むのは、「辞める人を引き止めること」です。退職を申し出た社員に、給与を上げたり、ポジションを変えたりして慰留しようとする。しかしこれは、多くの場合、根本的な解決にはなりません。なぜなら、退職を決意した時点で、その人の心はすでに「辞める」方向に向いており、慰留によって一時的に残っても、空気が変わらなければ遅かれ早かれ同じ結果になるからです。本当に必要なのは、「辞めたいと思い始める前に、留まりたいと感じる空気をつくること」です。スターバックスコーヒージャパンは、アルバイトスタッフ(パートナー)の定着率の高さで知られています。飲食業界の平均離職率が非常に高い中、スターバックスは一貫して低い離職率を維持してきました。その根幹にあるのは、時給や福利厚生だけではなく、「パートナー一人ひとりが大切にされている」という空気の徹底した設計です。店舗での毎日のコーヒーセミナー、互いの強みを認め合うコミュニケーション文化、「第三の場所(サードプレイス)」という理念の共有——これらはすべて、「ここで働くことに意味がある」「自分はこのチームに必要とされている」という空気をつくるための、意図的な設計です。人は、意味を感じられる場所に留まります。承認される場所に留まります。自分が必要とされていると感じられる場所に留まります。そしてその「場所の感覚」を生み出すのは、制度でも給与でもなく、毎日の職場に漂う空気です。
―「なぜ辞めるのか」より、「なぜ残るのか」を問う
今、あなたの会社で最も長く働いている社員は、なぜ残っているのでしょうか。その人に、直接聞いたことはありますか?「なぜ辞めるのか」を退職面談で聞くよりも、「なぜ残るのか」を在職中の社員に聞くことの方が、組織の空気の本質を理解するうえで、はるかに価値ある情報をもたらします。長く残っている社員が「何に満足しているか」の中に、あなたの会社が意図せずしてつくり上げてきた「良い空気」の源泉が隠れています。その源泉を意識的に、意図的に、組織全体に広げていくこと。それが、離職を止めるための、最も本質的なアプローチです。
人が辞める会社と、人が残る会社の違いは、給与でも福利厚生でもありません。毎日の職場に漂う空気の違いです。そしてその空気は、今日から意図的に変えていくことができます。
―勝田耕司
