『透明資産』経営のススメ【透明資産経営のススメ】「何も問題なかったのに、なぜ辞めるんだ」――その一言が、あなたの盲点そのものです

こんにちは!企業の空気をおカネに変える専門家、透明資産コンサルタントの勝田耕司です。
透明資産とは、業績に影響する「空気感」を意図的に設計し運用する仕組みのこと。透明資産を取り入れた透明資産経営は、お客様との絆を深め、従業員同士の信頼関係を築き上げ、商品・サービスの独自性を強化します。そして、持続的成長につながる経営の仕組みです。

―ある朝、机の上に置かれた退職願

期待していた社員が、突然、辞めると言ってくる。あなたは面食らいます。給料も払っていた。ひどい扱いをした覚えもない。「何も問題なかったじゃないか。なぜ今さら」。そう問い返しても、相手は静かに首を振るだけ。理由をはっきりとは、言いません。

けれど、後になって、ぽつりと誰かが漏らすのです。「あの人、半年くらい前から、もう半分あきらめてましたよ」と。あなたの知らないところで、その社員は、とうに心を決めていた。しかも、その引き金を引いたのは——あなた自身が、結んだ覚えもないのに結んでいて、気づかぬうちに破っていた、一つの「約束」だったのです。今日は、あなたの会社の中に、今この瞬間も静かに壊れつつあるかもしれない、その見えない約束の話をします。読み終えるころには、もう誰か一人の顔が、浮かんでいるかもしれません。

―署名のない、もう一つの契約

社員とあなたの間には、二つの契約があります。一つは、雇用契約書。給料や勤務時間が明文化された、目に見える契約です。ところが、もう一つ、紙にもハンコにも残らない契約が存在します。

組織心理学者のデニス・ルソーは、これを「心理的契約」と名づけました。社員が心の中で、勝手に、しかし切実に信じている、会社との「暗黙の約束」のことです。「これだけ頑張って会社に尽くせば、いずれ会社は自分を引き上げてくれるはずだ」「困ったときには、会社は自分を守ってくれるはずだ」「この会社は、自分を家族のように扱ってくれるはずだ」——。厄介なのは、こうした約束の多くを、経営者は「した覚えがない」ことです。けれど社員のほうは、あなたの何気ない一言や、これまでの慣例や、会社の空気の中から、確かにそれを「約束された」と受け取っている。そして、その約束が破られたと感じたとき、人が抱くのは、単なる「がっかり」ではありません。「裏切られた」という、深い痛みなのです。

―「残った人」のほうが、壊れていく

この心理的契約の恐ろしさを、最もよく示すのが、リストラの後に起こる現象です。ふつう、経営者はこう考えます。「業績が悪いから、一部の人に辞めてもらう。残った優秀な社員たちは、雇用を守られてありがたく思い、これまで以上に頑張ってくれるだろう」と。

ところが、現実はしばしば逆を行きます。研究者ジョエル・ブロックナーらが明らかにしたのは、リストラを生き延びた「残った社員」の多くが、かえって意欲を失い、会社への忠誠心を下げてしまう、という事実です。同僚が切られていく様子を目の当たりにして、彼らの心の中の約束——「まじめに働けば、会社は自分を守ってくれる」——が、音を立てて崩れたからです。「次は自分かもしれない」。そう感じた瞬間、人は会社に心を預けるのをやめ、静かに身構えるようになる。会社は「優秀な人材」を残したつもりで、その人たちの「心」を失っていたのです。

―「全員で少しずつ痛みを分けよう」と決めた経営者

では、危機のときこそ、この見えない契約を守り抜いた経営者は、何を得たのか。アメリカの製造業、バリー・ウェミラーの話をさせてください。

2008年のリーマン・ショックで、同社は受注の三割から四割を一気に失いました。多くの会社なら、迷わず人員削減に踏み切る場面です。しかしCEOのボブ・チャップマンは、こう考えました。「もし危機に陥ったのが家族なら、どうするか。誰か一人を切り捨てはしない。全員で少しずつ、痛みを分かち合うはずだ」と。彼が打ち出したのは、解雇ではなく、全社員が一か月の無給休暇を取る、という策でした。役員も、まだ黒字の部門も、例外なく。彼自身も報酬を削りました。

すると、驚くべきことが起きます。社員たちは、命じられてもいないのに、経済的に余裕のある者が、余裕のない同僚の分まで進んで休暇を引き受け始めたのです。誰かを守るために。結果、同社は一人も解雇せずに危機を乗り越え、経費を大きく節約し、そして何より——社員同士の、そして社員と会社の間の信頼が、かつてないほど深まりました。チャップマンは、こう指摘しています。百人を解雇すれば、削減できる人件費は正確に計算できる。だが、「残った人々」の心に何が起きるかは、決して計算できない、と。彼は、心の中の約束を、最も試される瞬間に、守り抜いた。そして目に見えない信頼という空気は、業績という目に見える形で、彼に報いたのです。

―あなたは今、どの約束を破りかけているか

さて、あなたの会社の話に戻りましょう。心理的契約は、透明資産の中でも、最も純粋なものです。紙もハンコもなく、目にも見えない。それでいて、社員があなたに「持てる力のすべてを差し出す」か、「言われた分だけをこなして、あとは静かに引く」かを、決定づけている。そして、その最もむごい性質は——それが、音もなく壊れるということです。

だから、思い浮かべてみてください。かつて目を輝かせて働いていたのに、今は淡々と「仕事だけ」をこなしている、あの社員を。あなたは、その人が信じていた約束を、知らぬ間に破ってはいないでしょうか。以前は出していた賞与を、一言の説明もなく見送ったこと。「成長させる」と匂わせながら、ずっと同じ仕事に据え置いたこと。景気のいいときには「家族だ」と言い、苦しくなったら忘れたこと。一度は「よくやった」と褒めた頑張りを、いつしか「やって当たり前」として扱うようになったこと。あなたの席から見れば、何も起きていない。けれど、その人の席から見れば、契約は、確かに書き換えられたのです。

人は、裏切られたと感じても、あなたにそうは言いません。抗議もしません。ただ、静かに、光を落としていく。差し出す力が、少しずつ漏れていく。そしてある平凡な朝、退職願が、あなたの机に置かれる。あなたは絶句する。「何も問題なかったのに」と。……この「何も問題なかった」という一言こそ、経営において最も危うい言葉です。なぜならそれは、あなたが契約の壊れる音を、最後まで聞き逃していた、という証だからです。

次に、その一言をつぶやくことになる前に、やるべきことがあります。見えない契約を、見えるところへ引きずり出すのです。社員が入社したとき、そして今、この会社に何を期待しているのかを、正面から聞く。あなたに約束できることと、できないことを、はっきり言葉にする。そして、たとえ暗黙のうちであれ、慣例としてであれ、いったん結んでしまった約束は——守る。どうしても守れないのなら、黙って反故にせず、その人のところへ行き、事情を伝え、面と向かって結び直す。約束を、沈黙の中で死なせてはいけません。

あなたの会社の、最も大切な社員たちをつなぎとめている契約には、どこにも署名がありません。だからこそ、気づかぬうちに破ることができ、失えばこの上なく高くつくのです。次の「何も問題なかったのに」が机に届く前に、今日、自分に問うてください。私は今、誰との、どの約束を、静かに破りかけているだろうか、と。

―勝田耕司