こんにちは!企業の空気をおカネに変える専門家、透明資産コンサルタントの勝田耕司です。
透明資産とは、業績に影響する「空気感」を意図的に設計し運用する仕組みのこと。透明資産を取り入れた透明資産経営は、お客様との絆を深め、従業員同士の信頼関係を築き上げ、商品・サービスの独自性を強化します。そして、持続的成長につながる経営の仕組みです。
―やめられない、あの案件
どの会社にも、たいてい一つはあります。もう何年も芽が出ないのに、やめられない事業。赤字が続いているのに、閉じられない新規プロジェクト。期待して迎えたのに機能していないのに、切れない人材。多額を投じて作ったのに、使いこなせていないシステム。
周りの社員は、うすうす気づいています。「これは、もうダメだ」と。それでも経営者は、こう言って、資金と人をつぎ込み続ける。「これだけつぎ込んだんだ。今さらやめられない」「ここまで来たんだから」と。この一言が出た瞬間、あなたの会社では、ある恐ろしい罠が作動しています。今日は、まじめで責任感の強い経営者ほど、はまり込んでいく落とし穴の話です。読み進めるうちに、あなたの会社の「あの案件」が、そっと浮かんでくるかもしれません。
―「高かったほう」を選んでしまう心理
心理学者のハル・アークスとキャサリン・ブルーマーが、1985年に行った、シンプルな実験があります。想像してみてください。あなたは、100ドルのスキー旅行のチケットを買いました。ところがその後、もっと楽しめそうな、別の50ドルのスキー旅行を見つけ、そちらのチケットも買ってしまった。あとで、二つの旅行が同じ週末に重なっていて、どちらのチケットも払い戻せないと分かった——さあ、あなたはどちらへ行きますか。
理屈で言えば、答えは簡単です。より楽しめる、50ドルのほうへ行けばいい。過ぎたお金は、どちらを選ぼうと、もう戻ってきません。ところが、実験では、多くの人が「楽しくない、100ドルのほう」を選んだのです。より高く払った過去を「無駄にしたくない」という思いが、これから得られる楽しさよりも、優先されてしまった。すでに支払い済みで、取り返しようのない過去のコスト——「サンクコスト(埋没費用)」が、未来の判断を、乗っ取ってしまうのです。
―沈むと分かっていて、金を注ぎ続ける
なぜ、こんな不合理が起きるのか。すでに使ったお金や時間は、これから何をしようと、一円も、一分も、取り戻せません。本来なら、判断すべきは「これから先、かかるコストと、得られる価値」だけのはず。ところが、「これまでの投資が無駄になった」と認めるのは、身を切られるように痛い。だから人は、その痛みを避けるために、走り続ける。そして結果的に、はるかに大きなものを失うのです。
この過ちの最も壮大な例が、経済学で「コンコルドの誤り」と呼ばれるものです。イギリスとフランスは、超音速旅客機コンコルドが採算に合わないと早くから分かっていたのに、「もう巨額を投じたのだから」と、開発費を注ぎ込み続けました。すでに沈めた費用が、さらに沈める言い訳になっていく——まさに、サンクコストの罠そのものです。
―この罠を、何倍にも凶悪にするもの
ここで、私が申し上げたい「空気」の視点があります。サンクコストの罠は、単なる個人の脳の錯覚ではありません。会社という組織の中では、これが「空気」によって、何倍にも凶悪化するのです。
その空気とは、「面子(メンツ)」です。あの案件をやめるということは、経営者が、社員全員の前で「私は間違っていた」と認めること。だから、いつしか判断のハンドルを、冷静な計算ではなく、プライドが握ってしまう。そして、ここが本当に恐ろしいところです。周りの社員は、その空気を、痛いほど読んでいます。彼らには、案件が死んでいることが見えている。同時に、社長がそこに面子を賭けていることも、見えている。だから、誰も何も言わず、黙って、燃料を注ぎ続ける。面子を守る空気は、一人の経営者のサンクコストの過ちを、会社ぐるみで沈没まで付き合う「共同作業」に変えてしまうのです。
―「守ろうとした会社」と、「捨てた会社」
同じ荒波を前にして、正反対の道を選んだ二社があります。写真フィルムの巨人、コダックと富士フイルムです。
コダックは、実は世界で初めてデジタルカメラを生み出した会社でした。1975年のことです。ところがコダックは、その発明を、事実上、封印しました。デジタルが広まれば、莫大な利益を生む「フィルム」という金のなる木が、自らの手で潰れてしまう。それを恐れたのです。彼らは、「今あるものを、どう守るか」と問い続け、フィルムというサンクコストに、しがみつきました。そして2012年、経営破綻します。
一方、富士フイルムも、まったく同じデジタルの津波に襲われました。フィルムの売上は、数年で激減していきます。しかし、経営者の古森重隆氏は、非情なまでに冷徹な決断を下しました。フィルムの時代は、終わった。しがみつくのをやめよう、と。彼が立てた問いは、コダックとは違っていました。「今あるものを守る」のではなく、「これまで培った技術で、何が新しくできるか」。そして、フィルムづくりで磨いたコラーゲンの技術を化粧品へ、精密な化学と画像の技術を医療・ヘルスケアや素材へと、大胆に転じていったのです。コダックが破綻したその年、富士フイルムは、過去最高水準の売上を記録していました。同じ過去、同じ衝撃。サンクコストにしがみついた会社は沈み、それを手放した会社は、生まれ変わったのです。
―あなたの「フィルム」は、何ですか
さあ、あなたの会社に問いかけます。あなたの「フィルム」——手放せずにいる、そのサンクコストは、何でしょうか。芽が出ないのに「これだけ投じたから」と続けている、あの商品。赤字が止まらないのに「大々的に宣言したから」と閉じられない、あの新規事業。うまくいっていないのに「自分が口説いて連れてきたから」と切れない、あの人材。
見分ける手がかりがあります。あなたがその案件を擁護するとき、あなたは「これからの見込み」を語っているでしょうか。それとも、「これまで、どれだけつぎ込んだか」を語っているでしょうか。あなたの口から「ここまで来たんだから」という言葉が出たその瞬間、あなたはもう、判断していません。取り返しのつかない過去に、判断させられているのです。そして、続ける一か月ごとに、あなたは過去の投資に報いているのではない。良いお金と、貴重な社員のエネルギーを、死んだものに、後から後から、投げ込んでいるのです。
―「新しい社長なら、どうするか」
抜け出す方法は、驚くほど単純です。自分に、冷たく、こう問うてください。「もし今日、過去のしがらみも面子も一切ない“新しい社長”がやって来て、今の情報だけを見たなら、この案件を続けるだろうか。それとも、やめるだろうか」。答えが「やめる」なら、それを生かしているのは、もはや未来への見込みではなく、あなたの過去と、あなたの面子だけです。
過去の勘定と、未来の勘定を、はっきり切り離してください。過去は、もう終わっている。判断は、これから先のことだけで下す。そして何より、「やめる」ことが恥ではなく、勇気として扱われる空気を、あなた自身が「私が間違っていた、これは止めよう」と口火を切ることで、つくってください。想像してみてください。数か月後、死につつあった案件から解き放たれた資金と人材が、ちゃんと未来のあるものへと注ぎ込まれ、あなた自身も、ずっと肩に食い込んでいた重荷を、ようやく下ろせたときの、あの奇妙なほどの安堵を。
ビジネスで最も高くつく言葉は、「これを畳もう」ではありません。「ここまで来てしまったのだから」です。なぜなら、その一言は、これまで一度も、未来を見ていないからです。過去は、もう使ってしまった。問うべきは、あなたのプライドが最も避けたがる、たった一つの問い——「ここから先、これは、割に合うのか」。そして、あなたはそれに、正直に答える勇気を持てるでしょうか。会社ごと沈む、その前に。
―勝田耕司