こんにちは!企業の空気をおカネに変える専門家、透明資産コンサルタントの勝田耕司です。 透明資産とは、業績に影響する「空気感」を意図的に設計し運用する仕組みのこと。透明資産を取り入れた透明資産経営は、お客様との絆を深め、従業員同士の信頼関係を築き上げ、商品・サービスの独自性を強化します。そして、持続的成長につながる経営の仕組みです。
「なぜ辞めるのか」より「なぜ残るのか」を問うべき理由
離職に悩む経営者のほとんどが、退職面談に力を入れます。「なぜ辞めるのか」を知ることで、次の離職を防げると考えるからです。しかし前回のコラムでもお伝えしたように、退職面談で本音が語られることは稀です。「キャリアアップのため」「一身上の都合」という言葉の裏にある本当の理由は、多くの場合、組織への深い失望や長年積み重なった不満であり、それが退職面談という「最後の場」で語られることはほとんどありません。
さらに深刻なのは、退職面談はすでに「手遅れの段階」での情報収集だということです。退職を決意した人の話を聞いても、その人はもう戻りません。同じ問題が次の社員に起きるのを防げるかもしれませんが、そのためには問題の本質を正確に把握する必要があります。
私がコンサルタントとして経営者に提案するのは、退職面談への注力をやめろということではありません。それと同等以上のエネルギーを「残っている社員への対話」に注ぐべきだ、ということです。「なぜ残るのか」という問いの中に、あなたの組織の本当の強みが隠れています。そしてその強みを意識的に設計し、強化していくことが、離職を防ぎ、採用力を高め、業績を伸ばす最も本質的なアプローチです。
「残る人」は、何を感じているのか
長く組織に在籍し続ける社員は、何を感じているのでしょうか。この問いに対する答えは、給与や福利厚生の充実だけではないことが、様々な研究から示されています。組織心理学者のウィリアム・カーンが1990年に提唱した「エンゲージメントの三要素」では、人が組織に深く関与し続けるためには「心理的安全性」「意味の感覚」「心理的可用性」の三つが必要だと述べています。これらはすべて「空気」によって左右されます。長く残る社員は、これらの三要素が満たされている職場の空気の中にいます。
デロイト社が実施したグローバル調査では、長期的に組織に留まる従業員が最も重視する要因として「職場の人間関係の質」「仕事の意味と目的感」「成長の実感」が上位を占めています。注目すべきは、これらの要因が「給与水準」や「福利厚生」よりも上位に来ていることです。つまり「残る人」は、お金だけのために残っているのではありません。「この職場の空気が好きだ」「この仲間と仕事がしたい」「ここにいると自分が成長できる」という感覚が、定着の根底にあります。この感覚を生み出している「空気の正体」を経営者が理解することが、組織の強みを発見する最短経路です。
「定着している社員」への対話が、組織の地図を描く
では、定着している社員への対話をどのように設計すればよいでしょうか。私がコンサルティングの現場で実践している、具体的なアプローチをお伝えします。最も重要なのは、「評価や査定とは切り離した、純粋な対話の場」を設けることです。上司から部下への評価面談ではなく、経営者または信頼できる担当者が「あなたのことをもっと知りたい」という純粋な関心から話を聞く場です。この場の安全性が確保されていないと、社員は「本音を言うと評価に影響するかもしれない」という防衛から、当たり障りのない答えに終始します。
対話の中で聞くべき問いには、いくつかの核心があります。「この会社で働き続けていることの、一番の理由は何ですか」「仕事の中で、最も充実感を感じる瞬間はどんなときですか」「この会社の空気の中で、特に好きなところはどこですか」「10年後も、この会社にいると思いますか。それはなぜですか」——これらの問いへの答えの中に、その会社が意図せずにつくり上げてきた「良い空気の源泉」が隠れています。
ある製造業の会社で、長期在籍の社員5人に対してこの対話を実施したところ、全員が共通して挙げたキーワードが「失敗しても責められなかった」という体験でした。経営者は特に意識してこの文化をつくったわけではありませんでしたが、創業者である社長自身が失敗を笑い話として語る習慣があり、それが組織の空気として定着していたのです。この発見が、採用時のメッセージ設計と、新人育成の空気設計を大きく変えるきっかけになりました。
「長期在籍社員」が持つ、組織の暗黙知という資産
定着している社員に対話を行うもうひとつの重要な理由があります。それは、長期在籍社員が「組織の暗黙知」を体に持っているという事実です。暗黙知とは、マニュアルや言葉では伝えにくい、経験と感覚の中に蓄積された知恵のことです。経営学者のマイケル・ポランニーが提唱したこの概念は、「人は語れる以上のことを知っている」という命題として知られています。
長く働いた社員が持つ暗黙知には、「このお客様はこういうときにご機嫌が悪い」「あの取引先への連絡は、月曜日の午前中は避けた方がいい」「このトラブルが起きたときは、まず現場に直接行くのが効く」——こうした、言語化されていないが非常に価値のある知恵が含まれています。この暗黙知が組織に留まり続けることは、競合他社が簡単には模倣できない「見えない競争優位」を生み出します。逆に、長期在籍社員が辞めることは、この暗黙知が組織から失われることを意味します。財務諸表には現れませんが、この損失は組織の底力を大きく削ぎます。定着している社員への対話を通じて、この暗黙知を言語化し、組織全体で共有していく設計が、属人化を防ぎ、組織の知識資産を守る重要な経営施策になります。
「残る理由」を採用の言葉に変える
定着している社員から「なぜ残るのか」を聞き出した後、その答えを「採用の言葉」に変換することが、採用力の向上に直結します。多くの会社の採用サイトや求人票に書かれている内容は、「経営理念」「事業内容」「給与・福利厚生」「成長環境」——これらの一般的な要素です。しかしこれらは、どの会社も似たようなことを書いています。求職者にとって、「また同じような会社の説明だ」という印象しか残りません。
一方、「なぜ残るのか」という問いから引き出した、定着している社員のリアルな言葉は、その会社にしかない「固有の空気感」を体現しています。「ここは失敗しても責められない。だから思い切って提案できる」「上司が自分の名前を覚えていて、仕事のことを気にかけてくれる」「お客様からの感謝の声が、チーム全体に共有される文化がある」——こうした具体的な言葉は、求職者の心に刺さります。
なぜなら、求職者が本当に知りたいのは「この会社で働いたら、自分はどんな毎日を過ごすのか」という日常の感覚だからです。その感覚を最も正確に伝えられるのは、実際に働き続けている社員の言葉です。採用コンテンツを「会社が言いたいこと」から「社員が体験していること」へとシフトすること——この転換が、採用力を根本から変えます。採用予算を増やす前に、定着している社員の言葉を採用に活かす設計を行うことが、最もコストパフォーマンスの高い採用施策です。
「残る人」を増やす空気の設計に、今日から取り組む
定着している社員から学んだ「空気の源泉」を、組織全体に意図的に広げていくこと——これが、離職を防ぎ、採用力を高め、業績を伸ばすための根本的なアプローチです。大切なのは、その源泉が「特別な施策」から生まれているケースは少ないということです。多くの場合、定着している社員が語る「好きな空気」は、日常の小さな積み重ねから生まれています。経営者が社員の名前を覚えていること。失敗を笑い話として語れる文化があること。お客様からの感謝が組織全体で共有されること。困ったときに「助けてほしい」と言える空気があること——これらはすべて、特別な予算も制度も必要としない「空気の設計」です。
パタゴニアは、従業員の定着率の高さで知られる企業ですが、その根幹にある「環境への使命感と仕事の意味の共有」は、特別な施策から生まれているわけではありません。創業者のイヴォン・シュイナード氏が体現し続けてきた「この仕事には意味がある」という日常の空気が、組織全体に染み渡った結果です。定着を生む空気は、制度設計ではなく、経営者の日常の言動から生まれます。
あなたの会社で最も長く働いている社員は、なぜ残っているのでしょうか。その人に、直接聞いたことがありますか? その答えの中に、あなたの会社が意図せずしてつくってきた「良い空気の宝」が隠れています。「辞める人」を引き止めることに力を注ぐ前に、「残る人」が大切にしている空気を発見し、その空気を組織全体に広げていくこと。この問いの転換が、採用・定着・業績を同時に変える、最も本質的な経営の一手です。
―勝田耕司
